そらいろ

そして 君に 恋をした!

「いちばんの理解者」

『実はデビュー当時は山田ではなく中島がセンターだった…中学生の中島の心を傷つけた交代劇⁉そして成長し、本音をぶつけ合った夜…「帰ってこられる場所」…グループとメンバーへの想いを語る‼』

8/6のA-stadio+の番組概要欄の一説。裕翔くんのこれまでを語る上で確かに欠かせない出来事だから、だからこそまた2015年ピングレ期に放送された行列の時のように少しだけ不安になってみたりもするのですけれども。とはいえ、番組の内容上、あの時のような心配はしていないのですけれども。

けれどやはり、今まで雑誌媒体で載せられてきているものたちの方がきっと彼らの気持ちが読み取りやすいし、30分間のそのまた数分間で語られる分量では間違った方向に受け取られる可能性もなくはない。

と、いうわけで。およそ 6年ぶりにまた裕翔くんと山田くん、また周りのメンバーが語ってきた『センター交代』についてまとめていこうと思います。前回のものとだいぶ被りますが、あの日から6年、また文献もかなり増え、彼らの関係性も少しずつ変わっていますのでそこまでまとめられたらなと。

裕翔くんと山田くんのコンビが大好きなオタクの戯言、またしばし、おつきあい下さい。

 

まず、元々の関係性から。

裕翔くんは2004年3月28日、山田くんは2004年8月12日入所。

約半年ほど裕翔くんがJr.歴では先輩という立ち位置です。

当時のことを2人はこう振り返っています。

山:裕翔くんと初めて会ったのは、俺がTV番組のオーディションを受けた日、オーディション終わって帰ろうとしたら、その番組に出てた裕翔くんが「いっしょに帰ろうよ」って声かけてくれたんだよね。裕翔くんは、でっかいリュックを持ってた。
中:持ってた持ってた(笑)!なつかしーね。家が同じ方向だったから。その日以来、仕事の帰りはいっつもいっしょに帰るようになって、ホントいろんな話をした。

———主題歌の『青春アミーゴ』では、バックで山田(涼介)くんとシンメだったよね?
「やってましたね。はい」
———山田くんとはどんな関係だった?
「山ちゃんは『Ya-Ya-yah』の公開オーディションで合格したんですよね。僕は半年くらい早いだけなんですけど、”あ、後輩ができたんだ!”って感覚がすごくて、僕からオーディションの日に、声をかけたんです」
———何人もオーディション生がいて、山田くんに声をかけたのはなんで?
「なんでだろう?帰る方向がいっしょだったからかな?うーん、でも、なんかちがったんですよね、まわりのコと。すぐ仲よくなって、映画をよく見に行ったりしましたね。電車も同じ路線だったんで、レッスン後、いっしょに帰って。となりに座って、どっちかの肩に頭を乗せて、寝ながら帰ったりしてました」
———寝過ごしたことってなかった?
「ないですね。山ちゃんがしっかりしてるんで、ちゃんと起こしてくれたんですよ。”裕翔くん、着くよ”って」 

山田くん入所から、センター交代劇が訪れるまで、それまではふたりはずっと仲良しで、いい距離感で。

もちろん先輩・後輩というのが抜けないままなところはあったものの、「あんまり人は撮らないけれどやまちゃんは撮っちゃう」と言っちゃう裕翔くんがいたり、怖い夢を見て眠れなくなった山田くんが裕翔くんに一緒に寝て欲しいと暗に求める夜があったり、知念くんを差し置いて山田くんを「可愛いマスコット」って言っちゃう裕翔くんがいたり(山田くんは「ちぃの方がマスコットっぽいけどな」と言っていてこの辺りからものすごいトリオがトリオしています。まだJr.の頃ですが)。

また、ふたりのエピソードとしてはこんなものもありますのでひとつ。

Jr.の頃『山田くんが辞めたい』と思った時のお話を。2010年8月の対談にて。

中:仕事の帰りはいっつもいっしょに帰るようになって、ホントいろんな話をした。事務所入って1年くらいしたとき、山ちゃん、Jr.をやめたいって悩んでたの覚えてる?
山:あー、同期の龍太郎とかはっしー(橋本良亮)が、裕翔くんといっしょにグループを組んだときだ。俺だけそのグループに入れなかったのがつらくて、やめようって考えてたんだよね。
中:俺は、「そんなのおかしーよ!ダンスだってうまいのに、なんでやめなきゃいけないの!?」って引き止めてた。けど正直、俺もきまずい部分はあったんだ。山ちゃんとはすごく仲よかったし、シンメ(隣同士)でも踊ってたのに、俺だけメンバーに選ばれちゃった…って。更に山ちゃんの悩みを聞いて、俺まで暗ーい気分になってた。
山:そりゃそうだよね。俺もまだ子どもだったから、そういうこと言ったら相手がどんだけヤな気持ちになるかってことまで考えらんなくて、ちょうどそのあと、落ち込んでた俺を裕翔くんがハワイに連れてってくれたんだ!
中:仕事で、Jr.何人かがハワイに行くことになったんだよね。最初山ちゃんはメンバーに入ってなかったんだけど、いっしょに行きたくて俺が誘った。
山:ありがたや〜。そんときまだパスポート持ってなかったから、俺のせいで出発が1週間遅れたんだけど(笑)。ハワイでも、ずっといっしょに行動してたよね。ホテルも同じ部屋だったし。
中:もうめっちゃ仲良くなってた。 

 この時はこう語っていた2人でしたが、この4年後、2013年末に7会が開かれ2人の"雪解け"を迎えた後の2014年4月号のM誌一万字インタビューでの裕翔くんはこんな風に語っています。

「自分じゃ、調子に乗ったりしてる感覚はなかったんですけど、今思えば、気づかないうちに、どっかおかしくなってたと思うんです。幼かったな。凄く後悔してることがあって」
———後悔?
「山ちゃんが入って、1年くらいかな。”やめようと思ってる”って相談されたことがあって。ずっと、言ってるんですね。ホームで電車を待ってるときも、乗ってるときも。”俺、やめよっかな”って。山ちゃん、踊りうまいって、みんなに言われてたんです。なのになんで、やめようと思うんだろうって思って。鈍感だったな。みんな、少しでもいいポジションに立ちたいって努力してるけど、なかなか報われないから悩むわけで。なのに、なんでやめたいと思うのか、なんで僕に相談してくるのかさえ、わからなくて」
———そっか。
「今、思い出しても胸が痛いです。なんでもっと真剣に話を聞いてあげなかったんだろう。”大丈夫だよ。いっしょにがんばろう!”って背中を押してあげなかったんだろうって」

 

 

本題のセンター交代について。はっきりと口にしたの山田くんが先だったと思います。

 2013年11月。"ライバル"というテーマで語った、センター交代劇について。

初めて特定の誰かをハッキリとライバル視したのは、裕翔だった。タッキー&翼のコンサートで代役をつとめて以来、裕翔とシンメで踊る機会が増えていったことも関係してたかもしれない。当時の裕翔はテレビで歌ったり踊ったりする以外にドラマや舞台の仕事も多くて、いつも忙しそうだった。俺も、このまま努力しつづければ、裕翔みたいな人気もになれるかもしれないって思ってた。でもJr.の中で誰か1人がセンターをつとめるとなると、選ばれるのは必ず裕翔で、俺はその後ろ。俺になくて、裕翔にあるものって何だろう?今までいくつもの背中に追いついてきたけど、もしかしたらこの背中の前にだけは立つことができないのかもしれない。裕翔の後ろ姿を見ながら、そんなふうに思い悩む日々がつづいた。
だから、JUMPがデビューして、『Dreams come true』のPV撮影でスタッフさんから「山田と高木(雄也)が真ん中に立って」って言われたときは、自分のまわりにだけ雷が落ちたみたいに何が起こったのかわからなかった。”今回だけかな?”って思っていたら、次のシングルのセンターは俺1人だった。そこは、Jr.時代からずっと”いつか立ちたい”って思い描いてた場所。ようやくその夢が現実になって、”俺も少しはまわりから認められたのかな”ってうれしかった。でも、裕翔とはおたがいの立場が入れ替わっちゃった気がして、どう接していいかわからなくなっちゃったのは複雑だったな。
あれから5年。俺は大人になったし、裕翔に対する気持ちを整理するには十分すぎるくらいの時間が流れた。おたがいにたくさんの経験を積んできた今も、裕翔にできて、俺にできないことはたくさんある。ドラムやタップダンスを仕事にいかしたり、雑誌のモデルをつとめたり、カメラや乗馬に挑戦したり、いろんな色を見せてくれる裕翔は本当に魅力的だと思う。俺がここまで来られたのは、間違いなくそんな最高のライバルがいたおかげ。ライバルだと認めた裕翔だからこそ、これからもずっと切磋琢磨し合える関係でいたい。

その次に語ったのは裕翔くんでした。

2013年12月に7が全員二十歳になったことを記念して開かれた7会で、"雪解け"を迎えた後の2014年4月。裕翔くんの一万字インタビューにて。

「決定的だったのが、2枚目のシングルのPVの収録で。振りつけ師さんから突然、山ちゃんと僕の立ち位置を替われってって言われて」
———事前に言われたんじゃなくて?
「収録現場でいきなりでしたね」
———理由は聞かなかった?
「聞かなかったです。あの瞬間は、やっぱり落ち込みました。精神的に荒んだっていうか。そういった心の変化にも、ファンの人は気づくんですよね。ファンレターに、”表情が変わりましたね”みたいなこと書いてあったりして。たしかに、そのころの写真を見ると、けっこうきつい顔してて」
———ずっと見てきたファンだから、ちょっとした変化にも気づくんだろうね。
「そうですね。仕事も一気に減って。ひと月で、仕事が取材1件しかないときとかもあって、ひさびさに仕事でメンバーに会ったりすると、 ”みんなはほかにも仕事してたのかな?”とか不安になって。僕、高校一年生のとき学校で皆勤賞を取りましたからね。素晴らしいことなんですけど、やっぱり、それまでの忙しさと比べちゃって」
———不安だよね。
「すっごい落ち込んで、自暴自棄じゃないですけど、なんか部屋でふさぎ込んでたときとかありましたね。”なんでみんな、そんな比べんだよ”って。考えてもしかたないことをずっと悩んで、負のスパイラルに陥っちゃって」
———悩んでること、誰かに相談した?
「しなかったですね。メンバーにも、家族にも。平気だよって振る舞っちゃうんですよ。なんでもないよって」
———ポジションについての悩み、どうやって解消したの?
「何か、おっきなきっかけがあったわけじゃなくて……。もう、たぶん限界までいったんです。ひがみや嫉妬が。限界までいって、ふっきれた気がします。”待てよ、俺は俺で違う道をいけばいいんじゃないか”って。センターだからできる仕事もある。でも僕にしかできないことだって、きっとあるんじゃないかって」 

 その次に語ったのもまた、裕翔くんでした。

2014年7月。ちょうど"弱くても勝てます"や"水球ヤンキース"が放映されていた頃。

「いや、俺も普通に腐りそうだったよ(笑)。でもそんなときに、昔ジャニー(喜多川)さんが言ってた「腐ったらダメ。誰かがどこかで見てる」って言葉を思い出したの。それで、あぁ頑張らなきゃなー、でも出口ないなーみたいな。ギリギリのところで保ってる感じだったね。あとそのころ、この時間を使って何か特技を身に付けようと思って。ドラムやカメラに没頭することで、ネガティブな気持ちを忘れられてたっていうのもあったかな」

(中略)

長いトンネルの出口はいつ見つかった?

「これが結構最近なの。吹っ切れたのは高3とか。別にセンターこだわらなくてもいい、俺には俺の役目だってあるんじゃない?って、それくらいから何となく思えるようになったんだよね。山ちゃん(山田)に何か大きな仕事が決まったら『良かったじゃん。頑張って!』って心から言えて、あれ?すっげーラクだなって。今までどこか表面だけで言ってた自分に対して、なんでもっと人の幸せを喜んであげられなかったんだろうって思ったの。山ちゃんとはお互い20歳を超えて、お酒を飲むようになって関係性がだいぶ変わった。最近はやっと言いたいことが言えるようになったし。山ちゃんって、すごい素直なんだよね。例えば『色んな服が似合うよね~』とか、何言ってんだよ!?ってこっちが照れちゃうようなこともサラッと言える人。身長とか本気でうらやましがってるときもあるし。そんな山ちゃんを見てると、何か、ギスギスしててもしょうがないなーみたいな、ふっと肩の力が抜けた気持ちになるんだよね」

その1ヶ月後の2014年8月。山田くんの一万字インタビューにて。

 

———そのころ、中島(裕翔)くんって、どんな存在だったの?
「カリスマっていうか、Jr,の中で”裕翔は誰も越えられない”って空気があって。でも、俺だけは越えてやろうって思ってたんだよね。密かに(笑)」
———なるほど。
「でも、俺も限界を感じちゃって。裕翔の壁は越えられないって。やめようかなって思ったことも何度もあって。毎日毎日、怒鳴られて、俺の中では裕翔が振りを間違ったと思う瞬間でも怒られるのは俺だったり。だけど”今のはーーー”って言った瞬間、ポジションがひとつ端にずらされる。だから、”すみません”って言うしかなくて、情けなかったな。言いたいことあるのに、保身のために言えないってダサくないですか?言い返せない男って屈してる自分が許せなくて」
———タッキー&翼のコンサートに、中島くんの代役で出たこともあったよね。
「うん。裕翔の代役だけど、センターに立つわけじゃなくて、同期の一番端。悔しさもあったけど、絶対にチャンスだって。コンサートの2日前に代役が決まって、24曲分の振りつけを覚えなきゃいけない。Jr.の先輩にお願いして、教えてもらって」
———大変だったね。
「でも、必ず誰かが見ていてくれるんだなって。「滝沢演舞場」で出番を待ってるときなんですけど、突然。大倉(忠義)くんに、”キミ、山田くんやろ?踊りうまいなあ”って声をかけてもらって。”えっ!?こんな下っ端の、しかも端っこで踊ってる俺の名前を覚えててくれてるの?”ってすごくうれしかった。そのくらいから、いろんな先輩に声をかけてもらうことが多くなって。一生懸命だったこと、いつかは誰かに届くんだなって」
———そうだね。
「舞台『One!』のときも急遽、裕翔の代役を任されたんですけど、滝沢(秀明)くんが僕を指名してくれたと思ってるんですよね。言われたわけじゃないですけど。それまでの僕を見ていてくれて選んでくれたんじゃないかなって。だから、滝沢くんにも、すごく感謝してて」
———どれくらい急だったの?
「1日2公演あって、その本番と本番の間(笑)。数時間で振りつけとセリフを全部覚えたんですよ。どうにか乗りきったら、社長が客席から走って来てくれて、”やばいよ、ユー!!”ってほめてくれて」
(中略)
———Jr.内で、少しずつポジションが上がっていったこと、うれしかったんじゃない?
「でも、足りない。まだ足りないって気持ちのほうが強くて。満足はしたことないんですよ、1回も。『青春アミーゴ』のバックのとき、裕翔とシンメになって、それくらいから、歌番組で手越(祐也)くんのバックにふたりでついたりもして。裕翔が赤で、俺が青の衣装。そのとき、 ”やっと追いついた”って初めて思ったんですよね。そのへんから、裕翔のことチョー意識するようになって。並んだだけじゃ満足できない。突き抜けたいくらい思って」
———そんなこと思ってたんだ。
「でも、なんか、言い方は難しいんですけど、楽しかったんですよね」
———楽しかった?
「明らかに自分より強いライバルがいて、そこを目指してる感覚が。刺激してくれる人がいるから、俺も強くなれるじゃないですけど」
———セカンドシングル『Dreams come true』では、高木(雄也)くんとふたりでセンターになったよね。
「”センター”って言われた瞬間、何が起こったか全然わかんなくて。“いつか裕翔を越えたい”って思いながら、どっかで越せるわけないって思ってたから。雄也は『ごくせん』で、いい感じにグッってなってたから、今回だけ、このふたりがセンターなんだろうなって自分を納得させて。でもそれからもセンターで定着して、そこから、俺と裕翔の関係は崩れまくりですよね。もう、わけわかんなくて。想像もしなかったことが起こったんで、どう接していいか全然わかんなくて」
———JUMPのコンサートでも、最初のころは、かなり声援の大きさに差があったと思うんだけど。
「歓声が大きいのはうれしかったです。素直に。でも、正直メンバーへの気まずさもあって。違和感を感じたっていうか。”あれ!?なんで、なんで、なんで?”って。その声援、やめてって、一瞬思っちゃったんですよね。なんか、目が覚めたっていうか」
———どういうこと?
「僕は、こうなることを目指してきたと思ってたのに、実際なってみたらちがうって。僕が思い描いていたグループって、こういうことじゃないって」
———それって、小学生のときのサッカーチームで思ったような感覚?
「似てるかもしれない。俺がグループを組みたかったのって、メンバーみんなで同じ目標に向かって、同じ歩幅で、同じテンションで歩いていきたかったからなんだって。ひとりでよろこびたいんじゃない。みんなでよろこびたいからグループになりたかったんだって」
———2008年には、ドラマだけでも4本出演してるよね。
「そんなに出てました?」
———ほかのメンバー以上に忙しくて、どこか孤独を感じたりしなかった?
「ありますよ。それに浸りはしなかったけど、”なんで、俺だけなんだよ”って。でも、今ならわかるけど、ほかのメンバーは、”なんで、アイツだけ!”って思ってたんだろうなって。たぶん、それを一番感じてたのは、裕翔だろうね」
(中略)
———でも、”突き抜けたい”って望んでもいたよね。ソロは、そのための近道になるとは思えなかった?
「ヤだよ、置いてくようなことすんの!大好きなんだもん。みんなのこと。俺は、どんな大変なことだって、つらいことだって、すべてはJUMPのためになるんだって信じてたから、ここまでやってこれたわけで。でも、がんばればがんばるほど、結果的にみんなを傷つけてしまう……」
———だから、やめようと。
「メンバーには言えませんでしたけどね。ソロデビューのことについては、雄也と大ちゃん(有岡大貴)にだけ、最初に相談して。そしたら、 ”これをきっかけに、でっかい風穴開けてくれ。いい風、吹き込んでくれ!”って。JUMPでグループメールやってて、俺、”今回はゴメン。ひとりでやってみる”ってメールして。そしたらみんな、”気持ちは分かってるから。がんばれ!”って。しかも、いちばん早く返信してくれたのが、裕翔で。なんか”あれ?”って思ったんですよね。裕翔がいちばん悔しいはずなのに、俺なんかより大人になってるって。なんか、恥ずかしくなっちゃって」

 

センター交代劇が起こった2ndシングル「Dreams come true」の発売は、2008年5月21日。2人は当時中学3年生。14・15歳の多感な少年に訪れた大きな転機であり、2人の関係性をガラリと変えてしまう出来事であったことは間違いありません。

ふたりがお互いの名前を雑誌でほとんど出さなくなるのも当たり前。向き合うにも向き合いにくい。何を言っていいかもわからない。そんなひとつひとつが彼らを少しずつお互いから遠ざけてしまうことになります。

ただ、そんな氷河期真っ只中の2010年8月に、裕翔くんはこうも語っています。

裕翔「山ちゃんは、今はいろんなドラマ出たり、もちろんJUMPでもセンターで踊ることが多いっていうのもあるし、そういう姿を見てると、ホントがんばってきたんだなーって思うんだよね。山ちゃんがすごい努力家なのは誰よりも知ってるから、今の山ちゃんが置かれてる状況にも誰よりも納得出来るんだ。たとえば、ダンスをどれだけがんばってたかは、Jr.時代の映像見ればわかるもん。マイク持って踊ってるのは俺なんだけど、どのバックで踊ってるJr.の中でいちばん輝いてたのはいつも山ちゃんだったから。」
裕翔「俺、ダンスでは山ちゃんにかなわないと思ってるんだ。1回、滝沢(秀明)くんの舞台「One!」で俺と山ちゃんがダブルキャストで弟役 をやったとき、社長が「山田のダンスを見てたら涙が出てきた」って言ってたの。それ聞いて、すげーと思った。だから、山ちゃんにはダンスを大事にしてもらいたい。ジャニーズのアイドルって世間からは”そこそこ踊れるけど、プロのダンサーほどじゃない”って思われてる気がするのね。だから、山ちゃんのダンスでその認識をくつがえしてほしい!」

 

裕翔くんと山田くんが共演した『理想の息子』も2012年1月期ドラマのため、現実は絶賛氷河期時代。でもここで、彼らの関係性はグッと変わります。

相手をしっかり"見る"ことになったのは、多分この頃なのだと思います。知っているつもりだったものを少しずつ変えるような、そんなきっかけのドラマ共演でした。

その頃の山田くんのインタビューが、こちら。

(中島)裕翔君とは、このドラマの撮影に入ってから、演技に対する考え方とか、今まで話題にしてなかったことを話すようになりました。裕翔君のプロ意識を感じることもありましたし、「一緒にいると落ち着く」って言ってくれたりして、うれしかったです。

また、同時期、別の雑誌では。

裕翔「オレからしたら、山ちゃんほどカンペキな人は、いないって思うよ。」
山田「あぁ〜?オレのどこが!?」
裕翔「つねに意識を高く持ってるところ。一歩外に出たら、一瞬もスキを見せないでしょ。ドラマの収録現場で山ちゃんを見てると、とくに感じる。」
山田「んなわけない。いまだって対談をしながらイチゴを食べまくってる(笑)。」
裕翔「いや、イチゴってところが、スーパーアイドルだよ。」
山田「スーパーアイドルなのは、裕翔くん。タップダンスもでいて、ドラムもできる。オレには、そういう特技がひとつもないからさ。」
裕翔「特技じゃないよ。ただ好きなだけ。」
山田「それがいいんだって。ドラムたたいてるときの裕翔くん、ホントに楽しそうだなぁって、見てるこっちまで楽しくなってくるもん。」
裕翔「オレもイチゴ食べてる山ちゃん見てると、楽しくなってくる(笑)。この顔、ファンのコにも見せてあげたい!」 

そして、本人たちが"雪解け"と語る2013年12月の7会。

2014年3月の雑誌では、

【知念侑李】
プライベートで潤ったのは、7の4人でごはんを食べに行ったとき、涼介が「BESTはBEST会やってるけど、7会ってまだないよね。やろうか?」って言い出して。ボクが「じゃあ、明日やろうよ!」って賛同したところから裕てぃーと圭人に声をかけて実現。どこのお店も混んでる時期で、予約を取るのが大変だったよ。涼介がもう100軒くらいのお店に電話して、ようやく見つかったってくらい(笑)。4人でゆっくりごはんを食べるのは初めてだから、最初はちょっとぎこちなかったね。でも、仕事のことやおたがい日ごろ思ってることをいろいろ話したりできてすごく充実した時間だった。またやりたい!それに、もしかしたらそのうちJUMP会もできるかもしれないよね。そのときのお店探しは雄也にまかせよう♪
【中島裕翔】
ちょっと前の話になっちゃうけど、昨年末、念願の7会を開きました!知念の誕生日会が、自然と7会になったって感じかな。場所を決めてくれたのは山ちゃん。忘年会のシーズンで、どこも混んでたみたいだけど、パッと仕切ってくれたよ。いちおう最初は「知念、おめでとう!」ってみんなで乾杯。そこから一気に盛り上がるかと思いきや、なぜかみんなモジモジしちゃってさ。「山田さん、この場を設けてくださってありがとうございます」みたいなこと言ったりして、なんか他人行儀なの。あげく「なんの話からしましょうか…」って、「オマエら、初対面か!?」ってツッコミたくなるぐらい、いま考えるとヘンな雰囲気だったなぁ(笑)。まぁ、それは最初だけで。年相応の笑えるボーイズトークから、これから7をどうしていきたいかっていうマジメな話もできた。各自が思ってることを改めて確認し合って、それを山ちゃんがまとめて…って感じ。おいしいすき焼きうどんを食べながら、ホントにいろんな話ができた、充実の会だったよ。今後は定期的にやっていけたらいいな。

2014年4月の雑誌では、

山「SEVEN会でも話したよね。」

中「うん、話した。」

山「裕翔君と俺は、何か話さない時期があったの。お互い意識し過ぎて。ライバルみたいな感じで。そのSEVEN会ですんげー話した。本当この1〜2ヶ月だよね。」

高「何?どんなこと話したの?」

八「え、嫌いだったとか(笑)?」

伊「ムカついてたとか(笑)?」

薮「昔、2人から相談受けてたな……。」

山「そう、『お互いあの頃さ』とか。」

中「『マジでお互い嫌いだったよねー』みたいな。だけど、今はそれを言い合える仲になった。お互いを受け入れられるようになって。」

山「うん、成長だと思うよね。」

岡「オトナになってる。」

知「今じゃ裕翔、涼介(山田)の家によく遊びにいってるもんな。」

有「今、一番仲良いんじゃない?」

伊「そうだ、よく一緒にいる!」

有「『さっきまで裕翔と一緒にいた〜』とか言ってるもんね。」

中「2人でランチしてます(笑)。」

有「仲良しかっっ!(一同爆笑)」 

薮「そうそう。ほかの4人の対談では、変化っていうことで”7会をやるようになって、7の雰囲気が変わった”っていう話題になったらしいよ」

山「マジで変わった!」

薮「それはオレらにも伝わってくる。ホント、ベルリンのカベ崩壊…って感じ」

山「ハハハ!そこまで強固なカベだったんだ(笑)。でもマジで、もうカベの残骸もないくらいの雰囲気だよ」

岡「まず一回目の7会のとき。もうオレ、泣きそうになっちゃったからね」

有「え、泣く!?何があるとそうなるの(笑)。オレら、そのときの話って、まだちゃんと聞いてないんだよ」

薮「7会をやって、山田と裕翔の仲が深まった…っていうざっくりした外枠しか聞いてない」

山「こいつは、自分の思いをオレらにものすごくアツく語ってたら、感極まって泣きそうになってたの」

岡「いや〜、だってめっちゃアツい会だったんだよ!”オレ、みんなのこと好きなんだよ!”って、心の声を絞り出すように(笑)」

山「それに対し、”オレらもだよ!”ってアツく返してな」

有「なんだよ、その暑苦しい感じ(笑)!」

岡「昨日も7みんなで好き好き言い合ってたもんね() 

 

続いては2014年7月。山田くんのインタビューにて。

———JUMP内で刺激を受け合ってると思うけど、20歳過ぎて、少しはお酒も飲んで話せるようになったのは大きくないですか?
「デカイね。昨日も裕翔とメールしてたりして、最近すごく仲いいし。もう時効だから書いちゃっていいと思うけど、裕翔とは距離があったから。でも、今年になって始めてセブン(Hey! Say! 7)の4人(山田、知念、裕翔、岡本圭人)で食事にいって、セブンがこうやって集まったことの喜びがみんな同じだったんだと思う。で、せっかく集まったんだから話しちゃおうよって、ぶっちゃけてしゃべったら、あらあら?って何かいい感じで、じゃあ2軒目行こうかって。歌って、アクロバットするやつもいて(笑)、いい感じにまとまったんだよね。今は裕翔と2人で買い物とかいってるし。表参道とか歩いたことないって言うから、俺が案内して、クラッチバックが欲しいっていうから、知ってる店に連れてって、これいいんじゃない?ってすすめたやつ買ってた」
———大人になるってそういうことかもしれないですね。子どもの心で、「この人と合う、合わない」だけじゃなくなる。
「多分、ちゃんと相手を理解しようとしたんだよね。理解しようともしてなかった自分たちが、初めて相手を知ろうと思って、話して、ちゃんとお互いを理解したから。お前にはお前なりの努力があって、俺をこういうふうに思ってたんだなっていうのがちゃんと分かったから、もう隠すこともないし、言いたかった言葉もちゃんと言えたから、溶けたんだよね」

また、2014年8月。山田くん一万字インタビューでは、

ーーーずっと”裕翔くん”って呼んでたのが、いつからか”裕翔”って呼ぶようになったよね。
山「ゆうてぃーとかね(笑)。知念が去年の11月でハタチになって、セブンが全員ハタチになったんです。お祝いに4人でメシに行って。これ、初めて話すんですけど、そのとき、まだ裕翔とは少し壁があったから、”今日は、本音で思ってること話そうよ”って切り出して、”じゃ、俺からいくわ”って」
ーーーなんて言ったの?
山「裕翔に、”ぶっちゃけ、おまえのことキライだった”って。知念も圭人も気づいてたから、”突然、何ぶっ込んでんだ!”って、爆弾発言すぎて、ふたりとも笑っちゃって(笑)」
ーーー中島くんは、なんて?
山「”わかってたよ。それに、俺もキライだった”って。”でも、こういうこと話せてるって、おたがい成長したってことだよね”って。だから、 ”もう、そういうのやめにしようぜ””わかった”って。そっから本音でみんなで話し合って。”これからは、もうBESTに頼るだけじゃなくて、自分たちの力でもJUMPを引っ張ってこうよ”って。そっから、ちょいちょい裕翔を家に呼んだり、ふたりでメシ食い行ったりしてる。あの時間は、すげー大切だった」

 2015年秋には、裕翔くんはこんなことも言っています。

裕翔「自分自身の話で言うと、ごっちを演じる上での葛藤とは違いますけど、僕なりに葛藤はありました。9人いるメンバーの中で、自分にしかできないことを見つけていかなきゃっていうのもあるし、何か武器を見つけたかった。でも山田(涼介)がバリバリドラマの主演を張っているのを見て、彼と自分は同じことはできないって思った瞬間、吹っ切れたんですよね。自分にできないことが分かっているなら、自分ができることに取り組めばいいのかなって。そこから考え方が、少し変わった気がします。どのメンバーにも自分が負けないことですか?…長身なこと?しょーもないですね(笑)。ただ今はこうやってお芝居の仕事を頂く機会も増えたので、本当にうれしいです。」

 

簡単に片付けてしまうならばお互い"おとなになった"と言ってしまえば良いのかもしれないですけれども、同じグループにいて、いやでも意識してしまう相手で、向き合いたいと思うことはたくさんあったろうにどうしたって向き合えずにいた数年間。

2度目の一万字、2人はそれぞれこんな風に語っています。

2017年9月の裕翔くん一万字インタビューにて

ーー最後に山田くんについて。

「やまねぇ。本当にメンバー想いで、メンバーのことを考えながら、どうやったらJUMPが成功できるかをずっと考えてる人。(中略)最初はそう思ってなかったでしょうね。最初からセンターだったわけでも、エースだったわけでもないですから。ただ、背負いすぎてツラかった時期があったんだと思います。言葉にこそしないけど、やまから発せられる救援信号みたいなもの、メンバーがみんな受け取ってましたから」

(中略)

ーー山田くんがアカデミー賞の新人俳優賞を受賞したときは?

「ちょうど友だちと外食してて、そのお店のテレビで放送を見てたんです。"すげー!!"ってケータイで写真を撮って。そしたら、いっしょにいた友だちに"本当にメンバーのこと好きだね"って冷やかされて(笑)。そのすぐ後にメールが来たんです。"俺、壇上でゆうてぃのことが頭に浮かんだ"って。僕、やまは俺のことなんか眼中にないと思ってたから。受賞の瞬間、僕のことを思ってくれたのはうれしかったし、ちょっと申しわけなくもなって。それに値する演技ができているあと言ったら、まだまだだなって。なのに、やまは"次はあの壇にいっしょに立とう。そして、JUMPをモンスターグループにしてこうぜ!"って。青春漫画の主人公みたいなセリフじゃないですか!?"何、カッコいいこと言ってんだよ"って思うんですけど、あいつは本当にカッコいいんです」

ーーふたりの関係性をひとことで言うならなんだと思う?

「むずかしいね、ひとつの言葉で僕らふたりの関係を表すのは。尊敬もしてるし…。でも、お芝居してても思い浮かぶのはやまの顔なんですよね。特に大事なシーンの撮影の時に思い浮かぶのは。"あいつだったら一発で決めるんだろうな"って。だから、ひとことでいうならライバルなんだと思います。」

(中略)

ーーじゃあ、山田くんとの本当の和解はいつだったと思う?

「それも去年だと思います。落ち込んでるときに、すごく励ましてくれたし、叱ってもくれた。あとは『ピンクとグレー』の感想を言ってもらったときかな。"俺にできない芝居をゆうてぃはできる。そこがいいんだよね"って言われて。あ、認めてくれてるんだなって。勝手に引け目のようなものをどこかで感じてたんだと思うんです。そんな勝手なわだかまりが消えた。それからだと思います。やまから何か聞いてくることなんて以前はなかったですもん。だから、あの日だと思います。本当の意味で僕たちの間に距離がなくなったのは」

それから数ヶ月後、2017年12月の山田くん一万字インタビューにて。

ーーじゃあ、最後に中島くん。

「いろんなところで言ってますけど、昔は、あんまり好きじゃなかったですね」

ーーライバル心が強すぎたってこと?

「ライバルしても、すごい意識してた。ただ俺の性格的に、好きとキライの間はないから、どっちかって言ったらキライだった。だってムカつくんだもん。何言っても真に受けて落ち込んで。センターを変わったタイミングでもあって、ものすごい悩んでる時期だったと思うんです。でも俺は“悩んでる時間があんなら前向け!”ってタイプだから。でも、俺はそれ言えないよ、俺だけは。あのころの裕翔は寄り添わせてくれなくて、なんかもどかしかったな。」

(中略)

ーー裕翔くん、『本当の意味での和解は一年前だと思う』って言ってたよ。

「そうかもね。ふたりで演技について、芝居について話したときなのかな。裕翔の演技に対しての熱い想いを聞いたし、実際、実力もある。裕翔は俺にはできない演技ができるんで。JUMPの大きな武器ですよね」

ーー日本アカデミー賞の授賞式で、裕翔くんの顔が浮かんだんだよね。

「あれは、本当に不思議な体験でしたね。ステージに上がった瞬間、"あ、次にこの景色を見るのは裕翔だ"って裕翔の顔が浮かんだんだよね。もちろん、これからの裕翔の努力次第だろうけど、俺は現実になるって信じてる」

お互いがお互いの実力を認め、努力を認め、敵わないと何度も背中を見ていると思い続けている2人。裕翔くんは以前「努力してる」なんて俺が言うのも烏滸がましいぐらい、と遥か遠くの届かない存在になってしまったと思っているからこそ、「眼中にないと思ってた」なんて言葉がするりと出てきてしまう。立ち位置を奪われてしまったことすら、「当然の結果」だとはっきり言えてしまうぐらいには、それを消化した今があるのでしょうけれど、当時まだ10代前半だった彼にそんなことは難しかった。あたりまえだと思います。

片や山田くんは山田くんで「裕翔には敵わない」と言い続けている。認めているものがあるから、センター交代劇のあと、後ろ向きになり燻ってしまった裕翔くんに対して思うところがたくさんあったのだと思います。ただそれを自分だけは言葉にしてはいけなかった。自分が欲しいものをたくさん持っているのになぜ、と山田くんだからこそ裕翔くんにはそれが言えなかったんでしょうけれど。その感情を消化させてしまうことも裕翔くんと同様に10代前半だった彼にやれと言うのは酷だと思います。思い返せば思い返すほどに。

 

そして、今回のタイトルにさせてもらった「いちばんの理解者」

2018年の年末に発売された雑誌で組まれた2人の対談での煽り文句『「ぶつかった」「嫌いだった」でも今は、「いちばんの理解者」』から引用させていただきました。その時の対談については、以下になります。

中島●この取材を受けている今、ドラマ『SUITS/スーツ』とドームツアーが同時進行している状態で、そんな時にヤマがメールをくれたの。『大丈夫、ライブはオレに任せろ!頑張れ!』って。あれ……すごくうれしかった。
山田●裕翔が今どれだけ大変か、それはオレにも痛いほどよくわかるからさ。
―――アイドルとしてはもちろん、役者という同じフィールドでも活躍。今では互いを認めあい支えあうふたりだが、実はここに至るまでには長い時間が。
山田●やたらぶつかったり、それこそ、口をきかない時期も過去にはあったんだよね。
―――ジャニーズJr.時代は「仕事現場から一緒に電車でよく帰っていた」と、公私ともに仲がよかったふたり。その関係性を大きく変えてしまったのが、中島君から山田君への”センター交代劇”だった。
中島●正直、あれはショックだったよね。ヤマは過去にスポットが当たらない冬の時代も経験。そこから必死に努力して実力でつかんだセンターだってわかっているのに。当時の俺はそれを受け止めることができなくて。
山田●お互いに「負けたくない」気持ちもあったしね。相手を強く意識しているからこそ「どう接したらいいのか」わからなくなっちゃって……。
中島●でも今は、あの時期を経験してよかったと思っている。自分と向きあう大きなきっかけになったし、成長することもできた。いろんなことに気づくことができたから。
―――そんなふたりの関係をよく表現しているのが「明らかに強いライバルがいて、そこを目指して進んできた。刺激してくれる人がいたから頑張れた」という山田君の言葉だ。
山田●まず、裕翔がいなかったら、オレは今ここに立っていないからね。オレ、裕翔に初めて会ったときのことを今でもよく覚えていて。裕翔はオレがジャニーズに入る前から、Jr.の中でもすでにカリスマ的な存在でさ。ステージで踊る姿を見て「すげー!!」と思ったの。そして「裕翔が立つあの場所からはどんな景色が見えるんだろう」って……。オレのすべてはそこから始まっているんだよ。
―――戦友であり、よきライバル。「これからも相手を刺激する存在でありたい。そのためには自分自身も成長し続けなくちゃ」と語る。ふたりには認め合えるようになった今だから語れること、語りたいことが山ほどある。
中島●こないだ、「そういえばふたりで飲んだことないね」って。オレのドラマが終わったら飲みにいこうって話をしていて。
山田●それを今から楽しみにしているんだけど……なんか緊張しそう(笑)。そこでふたりが何を話すか気になる?行く日が決まったら教えてくれ?やだよっ、絶対に教えない!!(笑)。

 

 "関係性"に括っただけを手当たり次第かき集めたので、2018年末までのテキストまでになっておりますが、その後も2020年の7月の雑誌で山田くんが「昔と関係性が変わったのは裕翔かな。20歳の時に2人で話し合ったことをきっかけに変わりました。今では2人で飲みに行くし、しょっちゅう話しています」という話があったり、ぶつかり合って話し合った以降はずっと、いい関係性のまま今に至っているのだなと思います。

たくさん資料を集めたようで今まで書いてきたものと文献数についてはあまり変わっておらず、目新しい記事でもないのですけれども、今回の放映に合わせて新たにふたりの関係性について知りたいと思われる方へのお助け記事になればと思います。

関係値、とはまた違った面でお話しするならば、確かに抜群にビジュアルのいい2人ではあるけれど、お互いがお互いの顔が大好きだったり、山田くんに至っては「裕翔のビジュアルでカッコ悪いところはない」って言ってたり、裕翔くんは「(やまの好きなところは)全部」って言い切れちゃったり、そんなふたりでもあります。

そんないいコンビなので色んな人に知ってほしいなぁと、そんなステマ記事でもあります。例の如く。

そんなこんなで結びにいたします。添削も何もしていないので、誤字脱字や内容重複等々あるかもしれませんけれどもその辺は多めに見ていただけたら幸いです。

ここで読んでいただき、ありがとうございました。

ゆとやまはいいぞ!!!

(結果、それが言いたかっただけのお話でした。)